愛知ウェディング協議会AICHI WEDDING COUNCIL
WEDDING CULTURE

尾張徳川家の二つの婚礼 —— 春姫のお輿入れと、国宝「初音の調度」

2026年9月18日 公開 ・ 一般社団法人 愛知ウェディング協議会(監修:理事 中村幸伸)

名古屋城と徳川美術館には、江戸時代のはじめに行われた二つの婚礼の記録と品々が残っています。どちらも尾張徳川家の当主の婚礼で、いまも実物や、その舞台を見ることができます。

元和元年(1615)4月12日、和歌山から来た春姫(14歳)が、尾張徳川家の初代・義直(16歳)のもとへ、名古屋城本丸に輿入れしました。大坂夏の陣の直前のことです。
出典:高田綾子「尾張徳川家初代義直正室高原院(春姫)に関する一考察」(徳川林政史研究所『研究紀要』第51号)。尾張藩の記録「源敬様御代御記録」に拠る

大坂夏の陣の直前に

春姫は、紀州和歌山城主・浅野幸長の娘です。夫となる義直は、徳川家康の九男で、尾張徳川家の祖となる人物でした。春姫の父・幸長は、名古屋城の普請にも携わっていました。婚礼は、その城の完成から3年後に行われています。

名古屋城によると、家康は婚儀を見届けてから、大坂夏の陣へ向けて出陣しました。婚礼の日取りは一度6月への延期が伝えられたあと、4月12日に決まったといいます。戦の前に婚礼を急いだところに、政治的な意味合いが読み取れます。

名古屋城の展示では、この年を「慶長20年(1615)」と記しています。この年の途中で元号が元和に改まったため、同じ年を指しています。論文は「元和元年」と書いています。

桑名から海を渡り、本町通を通って

尾張藩の記録には、その日の道のりが書き残されています。春姫の一行は、桑名から海を渡り、熱田でひと休みし、本町通を通って、戌の刻(夜8時ごろ)に本丸へ入りました。家康は、城の西御門の櫓から、その行列を見ていたといいます。

記録に残る内容
婚礼の日元和元年(1615)4月12日
道のり和歌山 → 桑名(海を渡る)→ 熱田(休息)→ 本町通 → 名古屋城本丸
本丸に入った時刻戌の刻(夜8時ごろ)
家康が見ていた場所西御門の櫓
家康と義直の母への贈り物白銀あわせて3,000両(家康へ2,000両、義直の生母・相応院へ1,000両)
行列の規模侍女90余人、先導の中間100人、長持300棹

出典:高田綾子論文による。行列の規模は「源敬様御代御記録」には無く、「尾藩世記」などの記録として論文が紹介しているもの

論文は、この行列を「非常に豪勢なもの」だったと伝える記録を紹介し、この婚礼を、浅野家と徳川家の結びつきを内外に示すものだったと位置づけています。翌13日には、家康が本丸に入り、義直・春姫と対面して祝いの宴が開かれました。

婚儀の舞台、本丸御殿

名古屋城は、本丸御殿を「婚儀の場となった」場所として紹介しています。本丸御殿の対面所の障壁画について、名古屋城は、描かれた海を春姫の故郷・和歌の浦と考えられると説明しています。

400年前に和歌山から嫁いだ花嫁の故郷の海が、婚儀の舞台の壁に描かれている。名古屋城は、この障壁画を本丸御殿とともに今に伝えています。

2歳6か月の花嫁と、国宝「初音の調度」

もうひとつの婚礼は、それから24年後です。3代将軍・徳川家光の娘である千代姫が、尾張徳川家の2代・光友に嫁ぎました。徳川美術館によると、千代姫はこのときわずか2歳6か月でした。

千代姫の婚礼のためにあつらえられた調度は、寛永16年(1639)9月21日、蒔絵師の幸阿弥長重が手がけたものです。『源氏物語』の「初音」の巻にちなむ「初音の調度」47件が国宝に指定され、名古屋の徳川美術館が所蔵しています。
出典:徳川美術館「初音の調度」

徳川美術館は、制作当時の調度の数を200件とも300件とも推測しています。名前の由来は、『源氏物語』初音の巻の歌の意味を主な意匠にしていることです。

徳川美術館によれば、千代姫は生前、名古屋の地を踏むことはありませんでした。名古屋を訪れることのなかった花嫁の嫁入り道具が、いまは名古屋で国宝として受け継がれています。

「名古屋の派手婚は、ここから」なのか

1本目のガイドで見たように、名古屋の結婚式は「派手」と言われてきました。その始まりを、春姫の豪勢な輿入れに求める話が語られることがあります。

けれども、今回確かめた論文、名古屋城、徳川美術館の説明のどれにも、春姫の婚礼が名古屋の婚礼の派手さの起源だという記述はありません。協議会としては、これはそう語られることがある話として受け止めるのが確かだと考えます。

ただ、協議会の見方として、ひとつ言えることがあります。春姫の行列は、本町通を通り、家康が櫓から見届けました。婚礼を、周りの人に見せる。それは、嫁入り道具を近所に披露した「エリカザリ」や、菓子まきにも通じるところがあります。

いま、見られる場所

場所見られるもの
名古屋城 本丸御殿春姫の婚儀の舞台。対面所の障壁画(和歌の浦と考えられる海)
徳川美術館国宝「初音の調度」(展示の時期は美術館の案内で確かめてください)

おわりに

400年前の二つの婚礼は、どちらも家と家とを結ぶ、政治の大きな出来事でした。いまの結婚式とは、意味も規模もまったく違います。それでも、嫁いでくる人を大切に迎え、その婚礼を周りの人と分かち合うという点では、この地域の婚礼の文化につながっているように見えます。

一般社団法人 愛知ウェディング協議会は、この地域で結婚式に携わる事業者が業種を越えて集まる団体です。地域の婚礼文化を記録し、次の世代へ引き継ぐことを目的のひとつに掲げています。

出典

  1. 高田綾子「尾張徳川家初代義直正室高原院(春姫)に関する一考察」徳川林政史研究所『研究紀要』第51号
    婚礼の日付と年齢、輿入れの道のりと時刻、家康が櫓から行列を見たこと、白銀の献上、行列の規模(「尾藩世記」などによる)、両家の結束を示す婚礼という位置づけ。尾張藩の記録「源敬様御代御記録」に拠る
  2. 名古屋城「特別展 家康とお嫁様 名古屋城と春姫お輿入れ」(2023年3月18日〜6月18日、名古屋城調査研究センター)
    春姫の出自、家康が婚儀を見届けてから大坂夏の陣へ出陣したこと、本丸御殿が婚儀の場であること、対面所の障壁画の海が和歌の浦と考えられること
  3. 徳川美術館「初音の調度」
    寛永16年(1639)9月21日、幸阿弥長重の制作、千代姫と光友の婚礼、国宝47件、『源氏物語』初音の巻にちなむ名前
  4. 徳川美術館 プレスリリース「開館90周年記念特別展 国宝 初音の調度」2025年3月25日
    千代姫が2歳6か月で嫁いだこと、制作当時の数が200件とも300件とも推測されること、千代姫が生前名古屋の地を踏まなかったこと

この記事は、公開されている資料にあたって作成しました。裏づけの取れなかった言い伝えは載せていません。 記載の誤りにお気づきの際は、お問い合わせからお知らせください。

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